1979年6月、北京で行われた「鍼灸に関するWHO地域間セミナー」において、鍼治療が有効と主張された疾患群の暫定リストが作成された。これには注釈として「このリストは臨床経験に基づくものであって、必ずしも対照群を置いた臨床試験に基づくものではない。また、特定の疾患を含めたことは、鍼の有効性の範囲を示すことを意図するものでもない」という言い訳めいた内容をわざわざ付帯している。さらには、このセミナーで合意が得られた疾患数は30疾患であったが、その後の中国による強引な働きかけによって、公表時には48疾患にまで膨れ上がっていたのである。その内訳は以下のようである。

1) 上気道4疾患:急性副鼻腔炎・急性鼻炎・感冒・急性扁桃炎
2) 呼吸器系3疾患:急性気管支炎・小児気管支喘息および気管支喘息(合併症のない患者に最も有効)
3) 目の障害4疾患:急性結膜炎・中心性網膜炎・小児の近視・合併症のない白内障
4) 口の障害5疾患:歯痛・抜歯後の疼痛・歯肉炎・急性咽頭炎および慢性咽頭炎
5) 胃腸障害15疾患:食道痙攣および噴門痙攣・しゃっくり・胃下垂・急性胃炎および慢性胃炎・胃酸過多・慢性十二指腸潰瘍(疼痛の緩和)・合併症のない急性十二指腸潰瘍・急性腸炎および慢性腸炎・急性細菌性赤痢・便秘・下痢・麻痺性イレウス
6) 神経系および筋骨格障害17疾患:頭痛および片頭痛・三叉神経痛・初期(6か月以内)の顔面麻痺・脳卒中発作後の麻痺・末梢性ニューロパチー・初期(6か月以内)のポリオ後遺症・メニエール病・神経性膀胱生涯・夜尿症・肋間神経痛・頸腕症候群・五十肩・テニス肘・坐骨神経痛・腰痛・変形性関節症

 その後この48疾患は、特に日本においては誤って認識され、「WHOが認めた鍼灸マッサージの適応症」として独り歩きし、21世紀の現在も鍼灸マッサージ業界に免罪符のごとく普及浸透してしまっている。

 また、1997年、米国・国立衛生研究所または国立保健研究所(NIH)は、「鍼治療に関する合意のためのパネル会議(Consensus Panel)」を開催し、鍼の有効性や安全性、研究方法などが合意された。これに拠れば、成人の術後および化学療法による嘔き気・嘔吐、歯科の術後痛、妊娠悪阻(つわり)の3疾患には「鍼治療が有望である」とされ、薬物中毒・脳卒中後のリハビリテーション・頭痛・月経痛・テニス肘・線維性筋痛症・筋筋膜痛・変形性関節症・腰痛・手根管症候群・喘息の11疾患については「補助療法として有用、または包括的患者管理計画に含める可能性がある」とされている。

 これらは、WHOとは違って単なる権威者の主張ではなく、偶然や暗示効果などを可能な限り排除した状態での臨床試験の結果に基づいており、科学的な客観性においては一定の評価を与えることができる。

 また、公益社団法人日本鍼灸師会のHPには、「鍼灸療法で有効性がある病気」として、以下の疾患を挙げるが、先のNIHの見解であると取られかねない表現であるばかりか、その根拠を何ひとつ示してはいないので、誤解のないように注意されたい。

① 神経系疾患:神経痛・神経麻痺・痙攣・脳卒中後遺症・自律神経失調症・頭痛・めまい・不眠・神経症・ノイローゼ・ヒステリー
② 運動器系疾患:関節炎・リウマチ・頸肩腕症候群・頸椎捻挫後遺症・五十肩・腱鞘炎・腰痛・外傷の後遺症(骨折、打撲、むちうち、捻挫)
③ 呼吸器系疾患:気管支炎・喘息・風邪および予防
④ 消化器系疾患:胃腸病(胃炎、消化不良、胃下垂、胃酸過多、下痢、便秘)・胆嚢炎・肝機能障害・肝炎・胃十二指腸潰瘍・痔疾
⑤ 代謝内分秘系疾患:バセドウ氏病・糖尿病・痛風・脚気・貧血
⑥ 生殖、泌尿器系疾患:膀胱炎・尿道炎・性機能障害・尿閉・腎炎・前立腺肥大・陰萎
⑦ 婦人科系疾患:更年期障害・乳腺炎・白帯下・生理痛・月経不順・冷え性・血の道・不妊
⑧ 耳鼻咽喉科系疾患:中耳炎・耳鳴・難聴・メニエル氏病・鼻出血・鼻炎・ちくのう・咽喉頭炎・へんとう炎
⑨ 眼科系疾患:眼精疲労・仮性近視・結膜炎・疲れ目・かすみ目・ものもらい
⑩ 小児科系疾患:小児神経症(夜泣き、かんむし、夜驚、消化不良、偏食、食欲不振、不眠)・小児喘息・アレルギー性湿疹・耳下腺炎・夜尿症・虚弱体質の改善

 しかしながら、これらの疾患群は臨床経験的には一般の鍼灸師が日常的に遭遇し、一定の効果を上げ得る疾患であることには変わりなく、さらに広範囲な疾患についても効果を発揮する可能性は否定できないものの、如何せん、鍼灸の技術の多くは高度な職人技に懸かるとところであり、どんな鍼灸師でもいつでも効果を発揮できるというようなものでもない。

 学生はもとより、多くの鍼灸師は、少しでも多くの患者に最大の効果を上げようと日々研鑽していることと思う。しかし、どんな治療法であっても、魔法のように奇跡が起きるわけではなく、鍼灸治療を受領したいと思う方は、担当の鍼灸師とよく相談し、十分に納得したうえで受療していただくことを希望するものである。

(臨床教育専攻科 専任教員・元 WHO伝統医学テンポラリアドバイザー) 浦山 久嗣